20世紀日本人名事典 「上田碩三」の解説 上田 碩三ウエダ セキゾウ 大正・昭和期のジャーナリスト 電通社長。 生年明治19(1886)年2月27日 没年昭和24(1949)年1月30日 出生地熊本県 学歴〔年〕東京高商(現・一橋大学)〔明治42年〕卒 経歴日本電報通信社に入社。大正8年のパリ講和会議、10年のワシントン会議、昭和5年のロンドン軍縮会議など主な国際会議を取材。11年同盟通信社に入り、常務理事、編集局長を歴任。20年7月広告部門だけが残った電通の社長に就任。22年6月公職追放で退任。24年1月UP通信のボーン副社長と東京湾浦安沖で鴨猟中に遭難死した。二人の死を悼み、日米マスコミ界有志が基金を出し合い、25年に“ボーン国際記者賞”(のちボーン上田記念国際記者賞に改称)が創設された。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上田碩三」の解説 上田碩三 うえだ-せきぞう 1886-1949 大正-昭和時代の通信記者。明治19年2月27日生まれ。日本電報通信社(電通)にはいり,ロンドン軍縮会議などを取材。昭和11年日本新聞連合と合併して誕生した同盟通信社の編集局長。20年広告部門だけとなった電通の社長となるが,22年公職追放令で退任。昭和24年1月30日,UP通信ボーン副社長と東京湾で鴨猟中に遭難死。64歳。ボーン・上田記念国際記者賞がもうけられた。熊本県出身。東京高商(現一橋大)卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by