ワシントン海軍軍備制限条約(1922)の有効期間満了が近づいたため,マクドナルド・イギリス首相の提唱で,イギリス,アメリカ,日本,フランス,イタリアの五大海軍国がロンドンで開催した会議(1930年1月21日~4月22日)。
1927年6~8月に開かれた5ヵ国によるジュネーブ軍縮会議は,長い海岸線防衛用に主力艦を重視するアメリカと,世界にまたがる帝国防衛のために小型巡洋艦に制限を加えまいとするイギリスの対立が鋭く,暗礁にのりあげていた。これを受けたロンドンの会議ではイギリス,アメリカがともにその要求を取り下げた。日本は対米70%の大型巡洋艦を要求したがいれられず,結局小型巡洋艦と駆逐艦についてイギリス,アメリカの70%,潜水艦は均等という条件で,大型巡洋艦に対するワシントン条約の比率(60%)適用を受諾した。この結果4月22日にイギリス,アメリカ,日本の間で,ロンドン海軍軍備制限条約が締結された(有効期間6年)。地中海の制海権を争うフランス,イタリアは話合いがつかず,参加しなかった。同条約の協定保有量は表のとおりである。この会議では,ワシントン条約による1931年からの代替建造が36年まで延期され,イギリス,アメリカ,日本が主力艦を1年半以内にそれぞれ5,3,1隻廃棄して,保有量をイギリス,アメリカ各15隻,日本9隻にすることも取り決められた。
この条約は現有量と協定保有量の差が小さく,そのうえイギリスの主張で〈エスカレーター条項〉(第21条,非締約国の新艦建造で安全を脅かされた締約国は,他の締約国に通告のうえ必要な艦艇を増加でき,他の締約国もそれに比例して増加できる)が設けられたため,軍縮の効果はあまり大きくなかった。同条約の期間満了を控えて,1935年末から再びロンドンで会議が開催されたが,すでに日本は1934年に,36年末をもってワシントン,ロンドン両条約による制限が終結することを通告しており,またベルサイユ条約に違反してドイツは有力な海軍国になっていたため,意味のある合意の基盤は失われていた。36年末ワシントン,ロンドン両条約の失効とともに,各国は激しい建艦競争をくりひろげた。
→統帥権干犯問題
執筆者:納家 政嗣
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