上田野村(読み)かみたのむら

日本歴史地名大系 「上田野村」の解説

上田野村
かみたのむら

[現在地名]荒川村上田野

荒川の上流右岸に位置し、西は安谷あんや川を境に日野ひの村、東は浦山うらやま川を境に久那くな村、北も荒川を境に同村。南には天目てんもく山等の高山が連なり、集落は北部に集中している。秩父甲州往還が荒川に沿い東西に通る。近世初めは幕府領、寛文三年(一六六三)忍藩領となる。田園簿では高三九一石余・此永七八貫三一七文とある。文政六年(一八二三)の書上帳(井上家文書)によると村高五五九石余、うち五二三石余は慶安五年(一六五二)の検地高、残る三六石余は寛文三年から文化三年(一八〇六)まで一三回行われた改畑高であった。「風土記稿」によると水田は少なく、ほぼ畑三分・山林七分の村方で、南に連なる高山のため雨期には水害を受けやすかった。耕地が石地のため干害もあり、また猪・鹿の害もあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む