日本歴史地名大系 「上発知村」の解説 上発知村かみほつちむら 群馬県:沼田市上発知村[現在地名]沼田市上発知町薄根(うすね)川支流、南流する発知川の流域にあり、集落は同川の左岸に多く開ける。西は大戸屋(おおとや)山の山嶺を隔てて上佐山(かみさやま)村、発知川を挟んで中発知村。北は武尊(ほたか)山西嶺を隔てて藤原(ふじわら)村(現利根郡水上町)、南は中発知村。発知川の上・中流域を発知谷と称し、古くは一村であったが寛文一〇年(一六七〇)上発知・中発知・発知新田・下発知の四村に分れた(池田村史)。天正一〇年(一五八二)六月一二日真田昌幸書状(真田宝物館蔵)によると恩田伊賀守が本領分を返されるのに先立ち堪忍分として与えられた地に「沼田向発知之内拾五貫文」などがあり、同年七月二六日真田昌幸宛行目録写(同館蔵)には「向発知之内」として「壱貫文 ゆふね内匠助」「九百五十文 ゆふねかちかいと」「壱貫五百文 壱ちやうた」などがみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by