日本歴史地名大系 「上茗荷沢村」の解説 上茗荷沢村かみみようがさわむら 山形県:飽海郡松山町上茗荷沢村[現在地名]松山町茗荷沢(みようがさわ)土淵(つちぶち)村の北にあり、東は出羽山地、西は藤里(ふじさと)川を境に下茗荷沢村。戦国末期、下茗荷沢村・引地(ひきち)村などとともに田尻(たじり)館主安保次郎の所領であった(「遠田肥前覚書」飽海郡誌)。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録では茗荷沢村一村で高付されており、高三三八石余。寛永元年庄内高辻帳でも一村で高五三七石余。しかし元和一〇年には上茗荷沢村・下茗荷沢村の二村に分けて検地帳が作成されているので、庄内藩の元和検地で上下二村に分離したと思われる。当村の同年検地帳(上茗荷沢区有文書)に組頭伝蔵・肝煎市左衛門とあり、高二七七石余、名請人一三。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by