日本歴史地名大系 「下茗荷沢村」の解説 下茗荷沢村しもみようがさわむら 山形県:飽海郡松山町下茗荷沢村[現在地名]松山町茗荷沢(みようがさわ)引地(ひきち)村の北にあり、西は丘陵地、東は藤里(ふじさと)川を境に上茗荷沢村。戦国末期、上茗荷沢村・引地村などとともに田尻(たじり)館主安保次郎の所領であった(「遠田肥前覚書」飽海郡誌)。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録、寛永元年庄内高辻帳では茗荷沢村一村で高付されているが、元和一〇年には上茗荷沢村・下茗荷沢村の二村に分けて検地帳が作成されている。庄内藩の元和検地で分離したと思われ、当村の同年検地帳(下茗荷沢区有文書)によれば高二七七石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 調理/車通勤OK/社会保険完備/男女活躍中/昇給あり/未経験歓迎 株式会社玉 神奈川県 川崎市 年収300万円~500万円 正社員 「週3日~」調理補助 洗い場/未経験OK/無資格OK/学歴不問/可児郡御嵩町 東和開発株式会社 岐阜県 御嵩町 時給1,050円~1,100円 アルバイト・パート Sponserd by