下茗荷沢村(読み)しもみようがさわむら

日本歴史地名大系 「下茗荷沢村」の解説

下茗荷沢村
しもみようがさわむら

[現在地名]松山町茗荷沢みようがさわ

引地ひきち村の北にあり、西は丘陵地、東は藤里ふじさと川を境に上茗荷沢村。戦国末期、上茗荷沢村・引地村などとともに田尻たじり館主安保次郎の所領であった(「遠田肥前覚書」飽海郡誌)。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録、寛永元年庄内高辻帳では茗荷沢村一村で高付されているが、元和一〇年には上茗荷沢村・下茗荷沢村の二村に分けて検地帳が作成されている。庄内藩の元和検地で分離したと思われ、当村の同年検地帳(下茗荷沢区有文書)によれば高二七七石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android