日本歴史地名大系 「上里遺跡」の解説
上里遺跡
うわざといせき
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
…共同墓地においては遺体の姿勢・方位や副葬品の種類・有無,および骨の人類学的検討による性別・年齢別の判定とによって,その集団の社会的構成や葬られた人びとの社会的位置を追究できる可能性もある。岩手県二戸市上里遺跡(縄文時代前期)では袋状竪穴の底から7体の人骨が出土し,これらは永久歯の歯冠近遠神経の研究から夫婦とその子どもたちで,一組の二卵性双生児を含むという興味深い想定が下されている。また九州北部の弥生時代の墓地においては,中国・朝鮮製の鏡や青銅器を副葬品としてもつ被葬者が,副葬品をもたない他の被葬者と同じ墓地に同種類の甕棺(あるいは木棺)に葬られており,副葬品をたくさんもった被葬者が,あくまでも他の人びとと同じ集団の一員をなしており,隔絶して他の人々の上に立っていたのではないことが想定できる。…
※「上里遺跡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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