上野垣内遺跡(読み)うえのがいといせき

日本歴史地名大系 「上野垣内遺跡」の解説

上野垣内遺跡
うえのがいといせき

[現在地名]嬉野町島田 上野垣内

中村なかむら川左岸の河岸段丘上にある面積約一八万平方メートルの広大な遺跡。河岸段丘の上面は標高二二―二六メートルで、西に向かってやや高くなり、南の沿岸にも標高一七―一九メートルの低位段丘があって、二段となっている。段丘全域にかなりの土器片が散布し、遺跡の広さを物語る。昭和五四年(一九七九)圃場整備に伴い、遺構の集中する遺跡東南部の一段高い段丘端部が全面的に発掘調査された。調査面積は約二千五〇〇平方メートルで、竪穴住居跡三七棟、掘立柱建物跡六棟、土壙一七基のほか、柵列なども検出。掘立柱建物は平安時代後期、竪穴住居三棟と溝・柵列は鎌倉時代に属するが、大部分の竪穴住居と土壙は奈良時代後期から平安時代にかけてのものであった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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