日本歴史地名大系 「島田村」の解説
島田村
しまだむら
- 宮城県:角田市
- 島田村
島田村
しまだむら
島田村
しまだむら
矢三村の西、北東流する鮎喰川の下流右岸にある。村名は川や水路に囲まれた島状の田地が多かったことに由来するという(加茂名小史)。中世には
慶長二年(一五九七)の分限帳に島田とみえ、六二石余が寺沢弥次右衛門、一〇〇石が稲富清八郎、一六石余が益田勝兵衛、五〇石が平野与八郎、一一石余が河野源次郎、五〇石が日比野久右衛門、四六石余が田中九右衛門、四〇石が太田孫左衛門、四〇石が太田彦兵衛、四〇石が梯藤左衛門(人名はあるいは誤りか)、二〇石が梯藤左衛門(人名はあるいは誤りか)、一〇〇石が稲田忠兵衛、八石余が青山助次郎、一〇石が梯三蔵の各知行分。
島田村
しまたむら
- 山口県:光市
- 島田村
北西は
御書御判物控(藤井家文書)の康永四年(一三四五)に「島田庄」とみえる。享禄五年(一五三二)の中国九州御祓賦帳に「しまたの東寿坊」と記す。
「筑紫紀行」に「光井・野原などいふ村々を過て、島田の駅に至る、茅屋勝にて百軒計あり、此駅の出口に大なる川あり、島田川といふ、室積より此辺まで、道に並立る松ども、木振よく茂りあひたる、此間より彼の海山の透て見ゆるなど、すべて佳境妙景にて、舞子の浜によく似たり、仮橋にて島田川を渡る、川向は浅なひ村なり」とある。
島田村
しまだむら
- 長野県:飯田市
- 島田村
現飯田市の北東部に位置し、天竜川とその支流
前方後円墳八基をはじめとして多数の古墳があり、下伊那では開発の最も古い地域の一つ。村の西方には建治三年(一二七七)開創の
「島田」の文献上の初見は文明一一年(一四七九)の諏訪御符礼之古書で、諏訪社上社大祝諏訪継満らが島田に兵を出し、松尾小笠原氏と争っている
島田村
しまだむら
島田村
しまだむら
- 栃木県:小山市
- 島田村
島田村
しまだむら
- 埼玉県:坂戸市
- 島田村
島田村
しまだむら
- 大分県:中津市
- 島田村
中津城の南東、島田神社裏手が村の中心。承久二年(一二二〇)の宇佐宮宿直番闕夜の
江戸時代は在会所が置かれ、島田村庄屋が定詰庄屋を勤めていたが、後期には二人で勤めるようになり、給米一人四石ずつが支給された(「十一組へ申達覚」野依家文書)。
島田村
しまだむら
- 兵庫県:龍野市
- 島田村
島田村
しまだむら
- 栃木県:足利市
- 島田村
島田村
しまだむら
島田村
しまだむら
- 新潟県:栃尾市
- 島田村
島田村
しまだむら
- 三重県:桑名市
- 島田村
現桑名市の南西部にあり、
江戸時代の前期・中期は桑名藩領、文政六年(一八二三)武蔵
島田村
しまたむら
島田村
しまだむら
島田村
しまだむら
島田村
しまだむら
- 千葉県:八千代市
- 島田村
島田村
しまだむら
- 大阪府:豊中市
- 島田村
島田村
しまだむら
島田村
しまだむら
島田村
しまたむら
島田村
しまだむら
島田村
しまだむら
島田村
しまだむら
島田村
しまだむら
島田村
しまだむら
- 鳥取県:倉吉市
- 島田村
島田村
しまだむら
島田村
しまだむら
島田村
しまだむら
島田村
しまだむら
島田村
しまだむら
島田村
しまだむら
- 鳥取県:米子市
- 島田村
島田村
しまだむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報