上飯野村(読み)かみいいのむら

日本歴史地名大系 「上飯野村」の解説

上飯野村
かみいいのむら

[現在地名]入善町上飯野

黒部川右岸にあり、北は東狐とつこ村、東は福島ふくじま村・袖沢新そでざわしん村、西は笹原新ささはらしん村・板屋いたや村。暦応三年(一三四〇)二月日の一条局文書紛失状(堀部家所蔵文書)に丹波国野々村ののむら(現京都府美山町)・三河国和地わじ(現愛知県渥美町)とともに小佐味こさみ庄飯野村の記載があり、当時の飯野村は下飯野村・東狐村などを含む広大なものであった。寛永一六年(一六三九)から万治三年(一六六〇)まで富山藩領、以後加賀藩領。


上飯野村
かみいいのむら

[現在地名]富山市上飯野・上飯野新町かみいいのしんまち上庄町かみじようまち

常願寺川と神通川に挟まれた平地中央にあり、東方北陸街道(巡見使道)が通る。西は中冨居なかふご村。正保郷帳では高六五七石余、田方四三町一反余・畑方七反。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高五一七石、免四ツ一歩、小物成は桑役一四匁(三箇国高物成帳)。享保七年(一七二二)の川崩れによる検地引高九四石などにより天保一一年(一八四〇)の打銀高四二五石余、免四ツ一歩(「高免帳」杉木家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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