日本歴史地名大系 「上高隈村」の解説 上高隈村かみたかくまむら 鹿児島県:鹿屋市上高隈村[現在地名]鹿屋市上高隈町現鹿屋市北端、串良(くしら)川上流域に位置し、南東は下高隈村。串良川最上流部の瀬戸野(せどの)から高腰(たかこし)(高峠)を越えて垂水(たるみず)郷に至る道がある。中世は鹿屋院のうち高隈として推移した。近世初頭は串良郷のうちで、下高隈村も含め高隈村と称した。のち上・下二村に分れ、高隈郷に属した。天文二〇年(一五五一)一〇月一八日銘の若宮再興棟札写(肝付文書)に鹿屋院「高隈上村」とみえる。文禄四年(一五九五)六月二九日の豊臣秀吉朱印知行方目録(島津家文書)によると、「たかくまの村」一千八八九石余は細川藤孝(幽斎)知行分とされている。慶長四年(一五九九)島津氏の直轄領となり、島津忠長に新恩地として高隈のうち高四〇〇石余などが与えられた(同年三月五日「島津忠恒宛行状」島津尚久系図)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by