下ノ森遊郭
しものもりゆうかく
西の御前通から東の七本松通まで、東西に続く新建町・西町・東町・三軒町の地域。近世北野天満宮の門前一帯は下ノ森とよばれ、北野社領に属した(坊目誌)。
明治五年(一八七二)の「京都府下遊廓由緒」に「同下之森町々水茶屋之儀モ年古ク渡世仕来、享保年中北野祠官徳勝院長屋江相済居候茶屋株之内、天明元年丑年願済之上西町江借受、右株ヲ以テ渡世仕来候由」とあり、公的には天明元年(一七八一)徳勝院長屋(現社家長屋町)住居の茶屋株(遊女屋)が分けられて成立したとする。しかし元禄―正徳(一六八八―一七一六)頃、既に松下三軒町(現三軒町)には六軒の茶屋があった(京都御役所向大概覚書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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