日本歴史地名大系 の解説 下三条町・下三条東町・下三条西町・三条新屋敷町しもさんじようちよう・しもさんじようひがしまち・しもさんじようにしまち・さんじようしんやしきちよう 奈良県:奈良市奈良町下三条町・下三条東町・下三条西町・三条新屋敷町[現在地名]奈良市下三条町・三条町・三条本(さんじようほん)町上三条町の西方に所在。室町期にも町とよばれていた(→上三条町)。「奈良曝」には「瓜屋の辻子一つニ合三十四軒。上三条の西町。此町の南側に瓜やの辻子へ行道有」とみえ、次に「三条出口上下弐町 下三条組」とある。「大乗院雑事記」文明一二年(一四八〇)六月一九日条の「七郷」(興福寺寺門郷)のうちの不開御門(あかずのごもん)郷に「下三条」がみえ、興福寺の支配下にあった。「奈良坊目拙解」によれば下三条町には月日(つきひ)ノ宮・法楽(ほうらく)寺があり、南側の部分を瓜屋辻子(うりやずし)町といい、月日ノ宮付近を三条欅(さんじようけやき)町ともいった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by