三条村(読み)さんじようむら

日本歴史地名大系 「三条村」の解説

三条村
さんじようむら

[現在地名]芦屋市三条町・三条南町さんじようみなみちよう清水町しみずちよう

芦屋村の北西、六甲ろつこう山地南麓寄りに位置する。慶長国絵図に三条村とみえ、高一九三石余。初め幕府領、元和三年(一六一七)以降尼崎藩(兵庫史学)正保郷帳には前記の高のほかに新田高三〇石余が付記され、また「本庄」の注記があるのでもり(現神戸市東灘区)津知つぢ村などとともに中世以来の本庄ほんじように含まれたとみられる。寛文四年(一六六四)尼崎藩の打出高繰入れにより村高は一九七石余となり(同九年頃「尼崎藩青山氏領地調」加藤家文書)、天保郷帳でも高二〇二石余。寛文九年頃の家数三二・人数一六九(前掲領地調)


三条村
さんじよむら

[現在地名]三原町市三条いちさんじよう

しん村の南東にあり、北は十一じゆういつしよ村。なか街道がほぼ南北通り、西へ阿那賀あなが街道が分岐する。村名は産所とも記される。寛永四年(一六二七)の産所村検地帳(三原町教育委員会蔵)では高五五一石余。正保国絵図では高四八九石余。天保郷帳では高五六四石余。反別戸数取調書によると反別八〇町八反余、高六九一石余ですべて蔵入地。


三条村
さんじようむら

[現在地名]奈良市三条宮前さんじようみやまえ町・三条大宮さんじようおおみや町・三条添川さんじようそえかわ町付近

三条通の南に立地し、ほぼ左京四条三坊・四坊・五坊を占める。近年発見された太安麻呂墓誌によると、安麻呂は左京四条四坊に住居があった。また保延四年(一一三八)の某文書紛失状(東大寺文書)にみえる左京四条三坊一〇坪の「字六段田」は小字六反田ろくたんだとして残る。

奈良町に入る西入口に面しているため、戦国時代には戦場にもなったらしく「大乗院雑事記」明応二年(一四九三)三月一三日条に「今日於三条田井足軽共及合戦」、同年四月二六日条に「昨日戒重楊本与十市足軽合戦有之云々、於三条古市手者合戦有之、但連日事也」とあり、また文明一七年(一四八五)九月一四日条によれば馬借一揆で放火されている。


三条村
さんじようむら

[現在地名]大多喜町三条

宇筒原うとうばら村の北西、弥喜用やきよう村の南西に位置する。西畑にしはた川の支流弓木ゆみぎ川が流れ、中野なかの村から小湊こみなと(現天津小湊町)への道が南北に通る。枝郷に田代たしろ・弓木・庄司しようじの三村がある。領主の変遷は笛倉ふえぐら村に同じ。文禄三年(一五九四)二月二九日の西之畑之内三条村坪入改帳(君塚家文書)では永高五六一文、名請人二八、屋敷地一〇筆で名請人一〇。検地案内者の君塚兵庫介は里見義頼の代官正木宮内大輔の小目代であった(妙厳寺蔵天正一一年銘棟札)。寛永一〇年(一六三三)の西之畠村々高割帳(君塚家文書)には山成村とみえ、高四五石余。


三条村
さんじようむら

[現在地名]本荘市小友おとも 三条

東は館前たてまえ村、南は三条川を挟んで荒町あらまち村、西北は子吉こよし川を挟んで宮内みやうち村・薬師堂やくしどう村、東北は廿六木とどろき村と接する。

正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に四八九石とあり、元禄一一年(一六九八)の出羽国由理郡之内村高帳に四八九石九斗六升二合と変わらない。藩政中期・後期の資料がなく、天保郷帳では三条村・万願寺まんがんじ村・新町あらまち村・廿六木村・岡本おかもと村の五ヵ村を併せて新輪あらわ村として一千八六一石と記す。


三条村
さんじようむら

[現在地名]丸亀市三条町

北は丸亀藩領村、条里制の那珂なか郡三条の地にあたる。東村境付近を丸亀・金毘羅街道が通り、旅籠などで賑ったという。寛永国絵図には黒島くるしまとあり、木徳きとく(現善通寺市)に所属。寛永一九年(一六四二)の高松藩成立時にも木徳村の一部であったと考えられ、その後黒島を含む三条村が成立した。天保九年(一八三八)の御領分明細記では高九三六石余。池泉合符録によると溜池は増池(水掛高九一九石余)伊予勢いよせ(一八〇石余)ほか二で、与北よぎた買田かいた(現善通寺市)からも取水。慶安元年(一六四八)御供田高一〇石が高松藩主より金刀比羅宮に献じられ、さらに同三年神馬料三〇石、千体仏料一一石が献じられた(「万御寄附物留記」琴陵家蔵)


三条村
さんじようむら

[現在地名]芦刈町大字三王崎さんおうざき字三条

現芦刈町中央部平坦地にある。元禄時代(一六八八―一七〇四)に三条(現三日月町)よりの移住で成立した集落。正保絵図・元禄絵図には記載されていないが、文化八年(一八一一)の平吉郷絵図に村名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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