日本歴史地名大系 「三条村」の解説
三条村
さんじようむら
三条村
さんじよむら
三条村
さんじようむら
三条通の南に立地し、ほぼ左京四条三坊・四坊・五坊を占める。近年発見された太安麻呂墓誌によると、安麻呂は左京四条四坊に住居があった。また保延四年(一一三八)の某文書紛失状(東大寺文書)にみえる左京四条三坊一〇坪の「字六段田」は小字
奈良町に入る西入口に面しているため、戦国時代には戦場にもなったらしく「大乗院雑事記」明応二年(一四九三)三月一三日条に「今日於三条田井足軽共及合戦」、同年四月二六日条に「昨日戒重楊本与十市足軽合戦有之云々、於三条古市手者合戦有之、但連日事也」とあり、また文明一七年(一四八五)九月一四日条によれば馬借一揆で放火されている。
三条村
さんじようむら
三条村
さんじようむら
- 秋田県:本荘市
- 三条村
東は
正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に四八九石とあり、元禄一一年(一六九八)の出羽国由理郡之内村高帳に四八九石九斗六升二合と変わらない。藩政中期・後期の資料がなく、天保郷帳では三条村・
三条村
さんじようむら
- 香川県:丸亀市
- 三条村
北は丸亀藩領
三条村
さんじようむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報