下三永村(読み)しもみながむら

日本歴史地名大系 「下三永村」の解説

下三永村
しもみながむら

[現在地名]東広島市西条さいじよう町下三永

西条盆地の東南に位置する。三永川が東の上三永かみみなが村から西の田口たぐち村に流れ、田口村境で八淵やつふち(現在は貯水池)になっていた。北の助実すけざね村・御園宇みそのう村との境にある山(四五七・七メートル)は比較的急峻であるが、南は緩やかな山裾が広がり、その南に福成寺ふくじようじの谷が続く。中世まで上三永村とともに三永村と称され、福成寺や荒谷氏・田坂氏・勝屋衆ら土豪の所領があった(→上三永村。「芸藩通志」は当村内に居を構えた土豪として生竹・寿重・打田などの諸氏をあげる。

村高は元和五年(一六一九)の八八九・八五六石(安芸国知行帳)から、宝暦一〇年(一七六〇)三・七石余の新開が高に入った以外に変化はなかった(明治三年「郷村高帳」広島大学蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む