下三永村(読み)しもみながむら

日本歴史地名大系 「下三永村」の解説

下三永村
しもみながむら

[現在地名]東広島市西条(さいじよう)町下三永

西条盆地の東南に位置する。三永川が東の上三永(かみみなが)村から西の田口(たぐち)村に流れ、田口村境で八淵(やつふち)滝(現在は貯水池)になっていた。北の助実(すけざね)村・御園宇(みそのう)村との境にある山(四五七・七メートル)は比較的急峻であるが、南は緩やかな山裾が広がり、その南に福成寺(ふくじようじ)の谷が続く。中世まで上三永村とともに三永村と称され、福成寺や荒谷氏・田坂氏・勝屋衆ら土豪の所領があった(→上三永村)。「芸藩通志」は当村内に居を構えた土豪として生竹・寿重・打田などの諸氏をあげる。

村高は元和五年(一六一九)の八八九・八五六石(安芸国知行帳)から、宝暦一〇年(一七六〇)三・七石余の新開が高に入った以外に変化はなかった(明治三年「郷村高帳」広島大学蔵)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

東日本大震災を受け2011年6月に成立した津波対策推進法で、故事「稲むらの火」にちなみ、11月5日と定めた。江戸時代の1854年11月5日(旧暦)、安政南海地震で大津波が発生。現在の和歌山県広川町で...

津波防災の日の用語解説を読む