日本歴史地名大系 「下上田村」の解説 下上田村しもうえだむら 和歌山県:橋本市下上田村[現在地名]橋本市上田(うえだ)紀ノ川を挟んで河瀬(こうぜ)村の対岸、河岸段丘から南に連なる山腹にかけてある。弘安八年(一二八五)一〇月六日付の沙弥願心寄進状案(護国寺文書)によると、上田殿と称された沙弥願心が隅田(すだ)北庄内の荒野を利生護国(りしようごこく)寺(現護国寺)に寄進している。また願心所領処分帳案(隅田家文書)正安元年(一二九九)一二月二三日分によると、隅田庄内上田の七段が処分されており、中世は隅田庄に属した。慶長検地高目録には「上田村」とあり、村高三九八石余、小物成二石八斗二升。上組に属し、慶安四年(一六五一)の上組在々田畠小物成改帳控(土屋家文書)では下上田村の家数四二(本役一四・庄屋五・肝煎二など)、人数一五五、牛八、小物成は紙木一〇二束余、桑二四束余、茶六七斤余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by