日本歴史地名大系 「宮下村」の解説
宮下村
みやしたむら
東は
小田原衆所領役帳には、幻庵「百拾貫三百六拾文 久良岐郡日野」「八拾五貫九百六十二文 久良岐郡日野癸卯検地増分」とある。日野は宮ヶ谷・金井の二村に分れ、さらに宮ヶ谷村から
近世は寛文二年(一六六二)から九年までの久世(のち下総関宿藩)領を除き幕府直轄領。
宮下村
みやげむら
宮下村
みやしたむら
- 埼玉県:大宮市
- 宮下村
宮下村
みやしたむら
宮下村
みやしたむら
宮下村
みやのしたむら
宮下村
みやしたむら
宮下村
みやのしたむら
宮下村
みやのしたむら
宮下村
みやしたむら
- 神奈川県:平塚市
- 宮下村
南東境を
近世は初め幕府直轄領、宝暦一〇年(一七六〇)以降下総佐倉藩領。慶応三年(一八六七)一二月の年貢割付状(平塚市史二)によれば田二五町二反余、うち上田九町四反余・中田四町九反余・下田九町九反余、畑屋敷二六町三反余、うち上畑八町六反余・中畑三町四反余・下畑四町四反余、屋敷一町一反で、このほか文政五年(一八二二)・同九年・天保九年(一八三八)・万延元年(一八六〇)などに田から砂畑および畑に変わった土地が五町一反余、田から葦野に変わった土地が一町余とある。
宮下村
みやのしたむら
南の
集落東方丘陵地に
宮下村
みやしたむら
宮下村
みやしたむら
- 埼玉県:上尾市
- 宮下村
谷津村の南、大宮台地上にあり、西半は
宮下村
みやしたむら
宮下村
みやのしたむら
宮下村
みやのしたむら
宮下村
みやのしたむら
宮下村
みやのしたむら
宮下村
みやのしたむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報