下久我村(読み)しもくがむら

日本歴史地名大系 「下久我村」の解説

下久我村
しもくがむら

[現在地名]鹿沼市下久我

荒井あらい川の中流に位置。同川が村の中央を北西から南東に流れ、上流に上久我村、下流上加薗かみかぞの村がある。もと上久我村と一村。慶安郷帳にみえる二筆の「久賀村」のうち幕府領分が当村にあたるとみられ、田九八石余・畑三二〇石余、ほか普門ふもん寺領二石。延宝元年(一六七三)の日光山目代山口忠兵衛触書(佐八文書)に日光御神領郷村として下久我村と記される。元禄一四年(一七〇一)の日光領目録、元禄郷帳では高六六〇石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む