日本歴史地名大系 「久賀村」の解説
久賀村
ひさかむら
- 長崎県:福江市
- 久賀村
福江島の北東海上にある久賀島を村域とする。同島は南西部は
永正四年(一五〇七)宇久盛定に軍資金を援助した和泉
万治年間とされる五島一円惣高帳には「久賀、田之浦」として高五一三石余、うち蔵入地四八六石余・寺社領二七石余。寛文四年(一六六四)の福江領高辻帳では久賀村として高四七三石余。元禄国絵図に久賀島とある。延宝三年(一六七五)から天和四年(一六八四)までの間に高九六石余の新田改があったほか、元禄一〇年(一六九七)高七四石余、享保六年(一七二一)高三石余、安永元年久賀村肥喜里八石余・久賀村
久賀村
くかむら
「吾妻鏡」文治三年(一一八七)四月二三日条所収の周防国在庁官人等解に「久賀」とみえる。同文書によれば、久賀は文治二年東大寺造営料として寄進された周防国衙領の一つ久賀保の地であった。
中世末、当村辺りは毛利元就と陶晴賢の
久賀村
くがむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報