下佐々木村(読み)しもささきむら

日本歴史地名大系 「下佐々木村」の解説

下佐々木村
しもささきむら

[現在地名]福知山市字下佐々木

牧(まき)川の支流佐々木川の中流域を占め、大猪(おおい)・進藤(しんどう)・末長(せなが)・南垣(みながい)・上垣(うえがい)などの小集落に分れる。村中を出石(いずし)街道が通る。

中世、佐々岐(ささき)庄上山(かみやま)保の地、江戸時代には上佐々木村の枝郷で、元禄一三年(一七〇〇)丹波国郷帳に「上佐々木村枝郷下佐々木村」高四二〇・〇六六石とみえる。天保郷帳でも変化なし。

村の共同墓地近くに、俗称「寺田(てらだ)屋敷」(約五畝歩)があり、築地・泉水・井戸などの跡がある。


下佐々木村
しもささきむら

[現在地名]岡崎市下佐々木町

矢作川右岸の沖積低地で、東は広く川沿いで土場があった。北は上佐々木村、東は東牧内(ひがしまきうち)村、南は河野(かわの)村・村高(むらだか)村(現安城市)、西は島(しま)村に接する。周辺の村々一帯を藤野(ふじの)の里とも称した。かつては妙覚(みようかく)池東岸の低湿地であった。中世平田(ひらた)庄矢作(やはぎ)郷に属したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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