日本歴史地名大系 「下佐野村」の解説 下佐野村しもさのむら 群馬県:高崎市下佐野村[現在地名]高崎市下佐野町群馬郡に属し、東南流する烏(からす)川の左岸崖際から東方の沖積平野にまたがって所在する。上佐野村の南にあり、東は倉賀野(くらがの)村、西は佐野窪(さのくぼ)村、南から西は烏川を挟んで緑野(みどの)郡根小屋(ねごや)村。古代には当地一帯は佐野とよばれ、神亀三年(七二六)建立の金井沢(かないざわ)碑に「下賛郷高田里」と刻まれる「下賛郷」は下佐野にあたると考えられる。元和五年(一六一九)安藤対馬守殿御領分高覚帳(東大史料編纂所蔵)では向郷に村名がみえる(高崎藩領)。 下佐野村しもさのむら 山梨県:南巨摩郡南部町下佐野村[現在地名]南部町下佐野北は上佐野村、東は駿河国富士郡稲子(いなこ)村(現静岡県芝川町)。枝郷に下野(しもの)・柿本(かきもと)がある(甲斐国志)。慶長古高帳では高六石余、幕府領。宝暦六年(一七五六)版の三郡村高帳では高三七石余はすべて御林守役引。村北部に東西一里半・南北三里半の御林山があり、上佐野村とともに管理する。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by