下八川圭祐(読み)シモヤカワ ケイスケ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「下八川圭祐」の解説

下八川 圭祐
シモヤカワ ケイスケ


職業
声楽家

専門
バス・バリトン

肩書
昭和音楽短期大学創立者

生年月日
明治35年 12月18日

出生地
高知県 高岡郡佐川町

学歴
東洋音楽学校(東京音楽大学)声楽科〔大正15年〕卒

経歴
ベレッティに師事。昭和5年東京でオペラデビュー。9年藤原歌劇団創設からバス・バリトン歌手として藤原義江共演、オペラ「カルメン」のエスカミリオ役などで活躍。15年東京声専音楽学校(昭和音楽芸術学院の前身)、44年学校法人・東成学園及び昭和音楽短期大学を創設。51年藤原義江の死後、同歌劇団代表兼総監督をつとめた。また同年出身の高知で郷土の後進育成のため“下八川賞音楽コンクール”が設立された。

受賞
勲三等瑞宝章〔昭和49年〕 伊庭歌劇賞〔昭和28年〕

没年月日
昭和55年 3月18日 (1980年)

家族
長男=下八川 共祐(東成学園理事長)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「下八川圭祐」の解説

下八川 圭祐
シモヤカワ ケイスケ

昭和期の声楽家(バス・バリトン) 昭和音楽短期大学創立者。



生年
明治35(1902)年12月18日

没年
昭和55(1980)年3月18日

出生地
高知県高岡郡佐川町

学歴〔年〕
東洋音楽学校(現・東京音楽大学)声楽科〔大正15年〕卒

主な受賞名〔年〕
伊庭歌劇賞〔昭和28年〕,勲三等瑞宝章〔昭和49年〕

経歴
ベレッティに師事。昭和5年東京でオペラデビュー。9年藤原歌劇団創設からバス・バリトン歌手として藤原義江と共演、オペラ「カルメン」のエスカミリオ役などで活躍。15年東京声専音楽学校(昭和音楽芸術学院の前身)、44年学校法人・東成学園及び昭和音楽短期大学を創設。51年藤原義江の死後、同歌劇団代表兼総監督を務めた。また同年出身の高知で郷土の後進育成のため“下八川賞音楽コンクール”が設立された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「下八川圭祐」の解説

下八川圭祐 しもやかわ-けいすけ

1900-1980 昭和時代のバス歌手。
明治33年11月18日生まれ。矢田部勁吉,ベレッティに師事。昭和9年藤原歌劇団の創設にくわわり,「カルメン」の闘牛士役などで活躍。のち同歌劇団の総監督。15年東京声専音楽学校(現昭和音楽芸術学院),44年昭和音楽短大を設立した。昭和55年3月18日死去。79歳。高知県出身。東洋音楽学校(現東京音大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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