日本歴史地名大系 「下名久井館跡」の解説 下名久井館跡しもなくいだてあと 青森県:三戸郡名川町下名久井村下名久井館跡[現在地名]名川町下名久井 館下名久井の南西、五日市(いつかいち)の西方の道路の南側沿いに位置する。如来堂(によらいどう)川の下流右岸の段丘が低地に突出した末端を利用。如来堂川沿いの低地との比高約二〇メートル。大(おお)館とも称する。天正二〇年(一五九二)の諸城破却書上や慶長三年(一五九八)の館持支配帳に館名はみえず、この頃すでに廃棄されていたものであろう。伝承によれば工藤祐経の子犬房丸の居館、あるいは赤沼備中の居館で、のち上名久井の東氏の配下の館となったともいうが(南部諸城の研究)、「奥南旧指録」や「三翁昔語」では下名久井に下名久井工藤氏が居住していたとしており、同氏の居館であったとみられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by