下名栗村(読み)しもなぐりむら

日本歴史地名大系 「下名栗村」の解説

下名栗村
しもなぐりむら

[現在地名]名栗村下名栗

上名栗村の南の山間村で、集落は名栗川沿いの緩傾斜地に散在する。同川沿いの秩父往還は高麗(こま)郡赤沢(あかざわ)村(現飯能市)から入り上名栗村に至る。別に小沢(こざわ)で分岐し、小沢峠を越え上成木(かみなりき)村(現東京都青梅市)に至る道は秩父方面から関東平野に出る道で、当村経由で大山阿夫利(おおやまあふり)神社(現神奈川県伊勢原市)への参詣道としても利用された。東流する有馬(ありま)川が地内川又(かわまた)で名栗川に合流。

田園簿に村名がみえ、畑高二四二石余、幕府領。寛文八年(一六六八)の検地帳(加藤家文書)によれば反別六九町余、名請人一五〇、うち分付百姓七・分付主三、二筆から四筆の屋敷持農民三三・無屋敷三六。最高所持者は二町六反、その他は一町五反未満、持高はほとんどが五石未満であった。延宝八年(一六八〇)の年貢割付状(同文書)によれば、和泉(いずみ)谷・矢那沢(やなさわ)谷・宮之入(みやのいり)谷・湯木入(ゆきいり)谷・有馬谷の奥はいずれも入会地であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報