日本歴史地名大系 「下向田村」の解説 下向田村しもむくたむら 富山県:西礪波郡福岡町下向田村[現在地名]福岡町下向田土屋(つちや)村の西、小矢部(おやべ)川左岸平地と山麓丘陵に立地。当村で山麓沿いに氷見(ひみ)へ至る道(山根道)が氷見道から分岐する。文禄二年(一五九三)の検地時に向田村が上・下二ヵ村に分村したという(福岡町史)。慶長一〇年(一六〇五)の下向田村検地打渡状(川合家文書)によると、反別は田畑屋敷ともで一三町八反余、分米二〇七石余。元和五年(一六一九)の家高新帳では役家数七、三日市組に属した。正保郷帳では高二一四石余、田方一二町二反余・畑方二町。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高二七二石、免六ツ八歩、小物成は山役一五二匁・野役六匁(三箇国高物成帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報