日本歴史地名大系 「下和村」の解説 下和村したおむら 岡山県:真庭郡中和村下和村[現在地名]中和村下和真加子(まかご)村の東、旭川支流の下和川中流域を占める山村で、東は伯作国境にそびえる津黒山(つぐろせん)(一一一七・八メートル)に連なる津黒高原が広がる。南は田羽根(たばね)村(現湯原町)・富西谷(とみにしだに)村(現苫田郡富村)。正保郷帳によれば田高三三七石余・畑高四九石余。元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳では改出高二三一石余・開高四九石余。元禄初頭の家数九三・人数四五五(作陽誌)。延享二年(一七四五)から宝暦五年(一七五五)まで伯耆鳥取藩預所、天明七年(一七八七)から寛政一〇年(一七九八)まで下総佐倉藩領であったことを除き、領主の変遷は初和(はつわ)村に同じ。享保七年(一七二二)には二一九人の飢人が発生している(「飢人人別改帳」矢吹文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by