下小金井新田
しもこがねいしんでん
[現在地名]小金井市貫井北町四丁目・桜町一―二丁目・緑町一―二丁目・梶野町三―四丁目・中町一―二丁目・東町四丁目
下小金井村の北と東の二ヵ所に分れて位置する。字一之久保は三角形をしていて北は北野中新田(現小平市)、東は貫井新田、南西は本多新田(現国分寺市)に接する。天保五年(一八三四)本多新田の作兵衛と国分寺村の幸三郎が開発を願出ているが、筑前福岡藩主黒田筑前守(斉隆)抱地であったので、黒田原とよばれていた(「黒田様抱地一条録」本多家文書)。字上水通は玉川上水の南岸にあり、東西に長い。北は玉川上水を挟み鈴木新田(現小平市)・是政新田・関野新田、東は梶野新田、南は下小金井村、西は貫井新田に接する。さらに下小金井村と梶野新田・下染屋新田の間を南へ長く延び、現JR中央線を越えて南梶野に接する。「風土記稿」によれば下小金井村の名主勘左衛門が開発した。元文元年(一七三六)の検地帳(清水家文書)が残り、名主は字上水通の鈴木家であった(小金井市誌)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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