日本歴史地名大系 「下島頭村」の解説 下島頭村しもしまがしらむら 大阪府:門真市下島頭村[現在地名]門真市上島(かみしま)町・下島頭・下島(しもしま)町・城垣(しろがき)町・千石東(せんごくひがし)町・千石西(せんごくにし)町・宮前(みやまえ)町・南野口(みなみのぐち)町元禄一〇年(一六九七)茨田(まんだ)郡島頭村が二村に分れて成立した村(天保三年「上島頭村明細帳」市川家文書)。島頭村のほぼ南部の、南北に細長い平坦地で集落は北端にあり、南部は千石沼とよばれる沼田。上島頭村との境界は互いに入組み複雑で、同村内と南の御領(ごりよう)村(現大東市)内にそれぞれ六反余の飛地がある。字観音堂(かんのんどう)は野崎(のざき)観音(現大東市の曹洞宗慈眼寺)の故地といわれ(門真町史)、野崎観音本堂正面の石段には年月日は記されないが「施主茨田郡島頭村檀那中」の銘刻がある。また万延元年(一八六〇)の植村家文書に村内小字名として吉近(こんちか)がみえ、和泉大雄(だいゆう)寺三光庵(跡地は現高石市)領島頭庄内吉近名との関係が考えられる(→島頭庄)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by