下材木町
したざいもくちよう
[現在地名]中区丸の内一丁目・錦一丁目
両蔵屋敷の南、葭町の北に位し、杉の町筋と伝馬町筋との間の二丁をいう(府城志)。清須から天満屋九兵衛・川方屋弥兵衛の両人が移住。上材木町に対し下材木町と称した(尾張城南陌名由緒)。氏神は白山神社・泥江県神社。
下材木町
しもざいもくちよう
ほぼ南北に通る木屋町通に西面する片側町で、東側に鴨川、西側に高瀬川が流れ、南は五条通にも面する。
平安京では京域外で、崇親院領であった。
町地としての開発年次は確定しがたいが、町儀難波録(久板家文書)に「又、享保年中に下材木町開発有之」とあり、更に「酉十一月十二日清水町ニ而与町寄会之節、下材木町清水町近江や浄意老松原高瀬之与町ニ入申度望ニ而、酒五升肴両種持参被成皆々知人ニ成申候、向後ハ高瀬新屋敷十町与ニ而御座候」と記され、この酉年は享保二年(一七一七)であるから、享保初めに町となり、高瀬川筋の組町に入ったことがわかる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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