下永良陣屋跡
しもながらじんやあと
通称「御墓」とよばれる鎮守の地に、一段高く石垣をめぐらして現存する。旗本諏訪氏が設置した陣屋。敷地面積約二〇アール。陣屋内の建物は、諏訪明神を祀る社と、主屋からなる。主屋は歳徳神を祀る御座敷、代官・次官の政務をとる御台所、手代・中間などの控える長屋からなり、ほかに白州・牢屋などがあった。
諏訪氏は宝永二年(一七〇五)五月、三代若狭守頼秋の時に、甲斐・信濃から領地を三河の幡豆・碧海・宝飯三郡五千石に移され、三河国三郡二二ヵ村の知行所村々支配の根拠地として、下永良陣屋を設置した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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