山梨県北西部、北巨摩郡(きたこまぐん)にあった旧町名(白州町(まち))。現在は北杜(ほくと)市の西部を占める一地区。1955年(昭和30)鳳来(ほうらい)、菅原(すがわら)の2村、および長坂町の一部、駒城(こまき)村の一部が合併して町制改称。2004年(平成16)須玉(すたま)町、高根(たかね)町、長坂(ながさか)町、明野(あけの)村、大泉(おおいずみ)村、武川(むかわ)村と合併、市制施行して北杜市となる。旧町域は、北西は釜無(かまなし)川に沿って長野県と接し、南は甲斐駒ヶ岳(かいこまがたけ)の山頂に至る。釜無川沿いに信州往還(国道20号)が走り、かつては宿駅として栄えた。尾白川(おじろがわ)流域は良質の米の産地として知られるが、ブドウや野菜・花卉(かき)栽培も取り入れている。駒ヶ岳登山の基地で、山頂に駒ヶ岳神社があり、また尾白川渓谷は景勝地である。ほかに塩沢温泉、自然公園、キャンプ場などがある。1973年には良質の水を求めてサントリーのウイスキー工場が鳥原(とりはら)地区に建設され、日向(ひなた)山山麓(ろく)に多くの貯蔵庫がつくられた。このサントリー白州蒸溜所は広大な敷地をもち、ウイスキー博物館やバード・サンクチュアリがある。
[横田忠夫]
『『白州町誌』(1986・白州町)』
江戸時代、奉行所(ぶぎょうしょ)や代官所に設けられた法廷。被疑者の庶民が座る庭に砂利が敷いてあり、その砂利の白さから白州とよばれた。奉行は庭に面して最上段に座り、次の間に吟味役、書役(かきやく)、見習与力が並び、庭には警戒の突這(つくばい)同心が控えていた。砂利の上に座るのは、被尋問者が庶民の場合だけで、浪人および特別の町人は板縁の上に座った。審理、断罪は奉行の仕事だが、中間の取調べは担当与力が吟味部屋で行い、奉行が白州へ顔を出すのは、人定尋問と判決言渡しのほか一度ぐらいであった。この判決の申渡しを落着(らくちゃく)という。入牢(にゅうろう)の申渡しは奉行のみに与えられた権限なので、重い犯罪者のいるときは夜中でも白州を開いたという。
[稲垣史生]
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