日本歴史地名大系 「下河原町・御中間町」の解説 下河原町・御中間町しもがわらまち・おちゆうげんまち 栃木県:宇都宮市宇都宮城下下河原町・御中間町[現在地名]宇都宮市下河原一丁目・河原町(かわらまち)・花房(はなぶさ)一丁目・下河原町北は宇都宮城および中河原、東は田(た)川、南は簗瀬(やなせ)村に接する城下南東端の町人町。南北に通称鎌倉道が通る。両側に人家があり、大小四ヵ所に町分が散在する。南が宇都宮城下への入口で台地となっており、北へ下り坂の勾配が続く。城の下にあるため、御下(おした)・押田(おした)ともよばれたという。建武四年(一三三七)四月日の伊賀盛光代難波本舜坊軍忠状(飯野文書)によれば、「下条下河原」での合戦が行われているが、この地をさすか不明。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by