下波佐見村(読み)しもはさみむら

日本歴史地名大系 「下波佐見村」の解説

下波佐見村
しもはさみむら

[現在地名]波佐見町皿山郷さらやまごう稗木場郷ひえこばごう頭郷かしらごう長野郷ながのごう志折郷しおりごう岳辺田郷たけべたごう川内郷かわちごう中山郷なかやまごう川棚かわたな町中山郷

波佐見村の南西部を占め、波佐見川が流れる。鎌倉期に中山を名乗る小地頭がいたとされ、正平一七年(一三六二)九月日の彼杵一揆連判状断簡写(福田文書)に中山七郎源盛高の署名がみえる。長享元年(一四八七)北西部の皿山を開いて祭祀を行ったと伝える。八天はつてん岳・琴平ことひら山とも称されるたけ(二一四メートル)空堀石垣を伴う平場を残す中世の城館跡があり、岳山城跡とよぶ。戦国期、肥前武雄の後藤貴明に対して、大村氏は同城に渋江公師を配し守護させたという(大村郷村記)。南部の志折郷に日見須ひみす城跡があり、じようした地名が残る。同城は天正遣欧使節の一人原マルチノに関連するといわれ、マルチノは永禄一一年(一五六八)ナカヅカサつまり原中務大輔純一の子息として波佐見に生れたという(「原家系図」鹿島市原家蔵文書、「ボロニヤ元老院日記」大日本史料)。天正一〇年(一五八二)遣欧使節としてローマに赴き、同一八年帰国。翌年イエズス会に入り、リスボンからもってきた印刷機でキリシタン版の翻訳刊行に努めた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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