朝日日本歴史人物事典 「下田隼人」の解説
下田隼人
生年:生年不詳
江戸時代の小田原藩領相模国関本村(神奈川県南足柄市)名主。小田原藩は財政難から,万治1~3(1658~60)年に領内総検地を実施した。年貢米の増徴のほかに麦租の徴収を命じられた足柄上・下両郡148カ村の農民が一揆を計画したが,当時70歳余の隼人は名主寄合で一揆を思いとどまらせる一方,農民を代表して藩役所に麦租の撤回を嘆願した。願いは聞き入れられず,隼人は藩主への駕籠訴を決行。麦租は中止となったが,隼人は強訴の頭取として死罪になったという。のち明治になってから農村芝居の題材に取り上げられるなど,代表越訴型義民のひとりといえる。
(下重清)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報