…その後阿部正次が一時在城した後,32年(寛永9)老中稲葉正勝が下野国真岡より移封(8万5000石),その子正則が老中のかたわら藩領経営に全力をあげ,小田原藩政の基礎を築いた(10万3000石,後11万3000石)。小田原城修築,城下町整備,小田原用水完成のほか47‐60年(正保4‐万治3)の領内(相模,駿河)総検地実施等の成果をあげたが,60年には足柄上郡関本村の下田隼人による年貢減免要求の越訴などの抵抗をうけるに至った。85年(貞享2)稲葉氏は越後国高田に移封,86年に老中大久保忠朝が下総国佐倉より再入部した(10万3000石,後に11万3000石)。…
※「下田隼人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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