中国,清代の正式軍隊の一つ。緑旗ともいう。緑営,緑旗の名はその旗色に由来する。清朝の軍制は八旗と旧明朝の軍隊を改編した緑営から成っていた。清は明の衛所制下の軍隊を緑営に改編するに際し,漕運関係以外の衛所をほとんど廃止して州県に帰併し,また兵丁は民間から召募して俸給を支給した。首都北京に置かれた緑営を巡捕営といい歩軍統領に属した。各省に配置された緑営の主力は提督に属して提標といい,ほかに督標,撫標,河標,漕標,鎮標などがあり,おのおの総督,巡撫,河道総督,漕運総督,総兵に属した。緑営の専官には上から提督,総兵,副将,参将,遊撃,守備などがあり,また緑営の単位として標の下に営,営の下に汛(または哨)が設置された。緑営本来の仕事はむしろ警察的任務にあり,軍隊としては三藩の乱の鎮圧や乾隆期(1736-95)の諸遠征に利用されたが,乾隆末以後,武官の腐敗と兵丁の質の低下によりしだいに弱体化した。
執筆者:井上 裕正
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中国、清(しん)代の軍事組織。緑旗ともいう。清朝兵制の根幹は満州人を中核とする八旗であったが、緑営は明(みん)代の兵制を踏襲して1644年から漢人のみで編成し、軍旗の色を緑としたことに名称の由来がある。なお、清朝の建国(1636)に協力した漢人は八旗漢軍に編成された。緑営には大別して在京緑営(京営)と在外緑営(直省緑営)がある。京営は歩軍統領の指揮下に北京(ペキン)に駐屯した。その任務は管内を巡警して盗賊の逮捕にあたることで、軍隊というよりは警察である。在外緑営は、地方行政の任にあった総督、巡撫(じゅんぶ)、提督、総兵官、四川(しせん)成都将軍、河東・江南河道総督、漕運(そううん)総督の指揮下に置かれ、もっとも多いときは60万人以上あったが、すべて細分化して配置され、それを駐防八旗が監視するという形態であった。清末には無力化して勇営、練軍にとってかわられた。
[細谷良夫]
清朝の正規軍の一つ。その旗色により緑旗兵ともいう。清朝が中国本土に進出後に,明朝の旧軍人を主体に編制した軍隊で,主に漢人からなる。漢軍八旗と区別する場合は,漢兵という。京師(けいし)巡捕営と各省緑営とに分かれ,前者は総兵員約1万人で歩軍統領が統括し,後者の総数は約60万で,総督や巡撫(じゅんぶ)などが率いた。軍隊というものの,平時には営や汛(じん)に分属して主に治安維持にあたった。三藩(さんぱん)の乱の鎮圧には軍隊として活躍したが,清代後半に急速に弱体化した。
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…その後八旗が人口の増加と漢人経済の影響を受けて貧困化したことは日本徳川時代の旗本と同様で,八旗は貧困化すると同時に弱体化した。八旗とは別に緑旗(緑営)とよばれる60万から80万の漢人部隊が編成されて地方の治安維持や雑役にあたった。つぎに政治,行政では満州族特有の最高機関として入関前から議政王大臣という会議があったが,康熙末年には有名無実となり,雍正時代(1723‐35)からは軍機処が新設され,皇帝のもと数名の軍機大臣による軍事,政治を決する最高政務機関となった。…
※「緑営」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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