下砥川村(読み)しもとがわむら

日本歴史地名大系 「下砥川村」の解説

下砥川村
しもとがわむら

[現在地名]牛津町大字下砥川

御岳おたけ(二四一メートル)から東に突き出た台地牛津川に挟まれた一帯の平地で、水運の便はよかったが、水害を被りやすく、また海水の塩分を含む水であるため用水には乏しかった。現下砥川の字地として柳鶴やなぎづる蒲原かもはら永田ながたなどがある。

慶長絵図には上下に分れず「砥川 高二千四百九十八石三斗六升八合三勺」とある。正保絵図に村名がみえる。

元和七年(一六二一)の三部上地までは、多久たく邑主の領地であったが、これ以後佐賀本藩士の配分地として分割された。嘉永六年(一八五三)写の大小配分石高帳では、竹田文右衛門が地米(年貢)一五石七斗六升二合、中島忠右衛門が地米一五石九斗八升四合、広田長左衛門が地米三〇石とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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