下神増村(読み)しもかんぞむら

日本歴史地名大系 「下神増村」の解説

下神増村
しもかんぞむら

[現在地名]豊岡村下神増

天竜川の中洲に位置する輪中集落で、北は上神増村。西神増村ともいう(遠淡海地志)。永禄一二年(一五六九)徳川家康遠江に侵攻するが、これにいち早く呼応して先導役を果したのがいわゆる井伊谷三人衆であった。そのため家康はさっそく彼らに所領の安堵・宛行を行ったが、そのなかに「かんさう」とみえる(同年一二月一二日「徳川家康判物写」鈴木文書)。元亀三年(一五七二)武田晴信(信玄)が今川氏旧臣で二俣ふたまた(現天竜市)城主であった松井宗恒に安堵した所領のなかにも「野部・神蔵」で二五〇貫とあるので(同年一二月一六日「武田晴信判物写」土佐国蠧簡集残篇)、地埋的にみても本来は松井氏の所領であった可能性が強い。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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