日本歴史地名大系 「下神殿村」の解説
下神殿村
しもこうどのむら
〔中世〕
薩摩国建久図田帳に伊集院のうちとして「下神殿十六町 万得」とみえ、大隅正八幡宮(現鹿児島神宮)の万得領であった。鎌倉時代後期と推定される薩摩伊集院分造宇佐宮用途支配注文(島津家文書)によれば、下神殿は豊前宇佐宮造営用途四三疋・人夫食料米九斗一合を賦課されている。嘉元四年(一三〇六)三月一二日、上神殿次郎太郎祐継(迎祐)と伊集院郡司時継(迎念)とが相論していた伊集院内下神殿内の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報