日本歴史地名大系 「伊集院町」の解説 伊集院町いじゆういんちよう 鹿児島県:日置郡伊集院町面積:五五・八三平方キロ日置郡のほぼ中央部に位置し、北東は郡山(こおりやま)町、東は鹿児島市、南東は松元(まつもと)町、北西は東市来(ひがしいちき)町、南西は日吉(ひよし)町に接する。薩摩半島の北部、南薩と北薩とを結ぶ要衝の地を占める。地形は北境に重平(しげひら)山(五二三・一メートル)、南西境に矢筈(やはず)岳(三〇二・九メートル)・諸正(もろまさ)岳(三〇一・四メートル)があるほかは標高一五〇メートル前後の台地と丘陵からなり、町の中心を南西に流れる神之(かみの)川およびその支流の長松(ちようまつ)川・下谷口(しもたにぐち)川など数本の河川流域に帯状の谷底平地を形成し、その中心部に当町の市街地がある。集落の多くは低い段丘上にある。山間部が多いため古い時期の遺跡が多い。下谷口の永迫平(ながさこびら)遺跡や大田の大田城(おおたのおおたじよう)遺跡ではナイフ形石器文化の、竹之山の瀬戸頭(たけのやまのせとがしら)遺跡では細石器文化の石器が出土している。縄文時代早期前半の岩本式土器が大田の上山路山(かみやまんじやま)遺跡・大田城遺跡や恋之原の稲荷原(こいのはるのいなりばる)遺跡などで出土しており、稲荷原遺跡では土器の内面に赤色の顔料もみられ、日本最古の塗彩資料として注目されている。次の前平式土器の時期には永迫平遺跡で集落が、上山路山遺跡では道が、稲荷原遺跡では土坑が発見されており、これらは日本最古級の集落として重要である。徳重の花壇(とくしげのけだん)遺跡では晩期の夜臼式土器が多く出土しており、稲作導入時期の遺跡として注目される。弥生時代には上山路山遺跡で中期の土器が出ているほか、土橋(つちばし)・寺脇(てらわき)・猪鹿倉(いがくら)などに遺跡がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by