日本歴史地名大系 「下福元村」の解説 下福元村しもふくもとむら 鹿児島県:鹿児島市旧谿山郡地区下福元村[現在地名]鹿児島市下福元町・錦江台(きんこうだい)一―三丁目・谷山中央(たにやまちゆうおう)四―七丁目・慈眼寺町(じげんじちよう)上福元村の南、和田(わだ)川下流の平坦地とその南の海岸台地および西部の山地からなる。東は海に面し、南は平川(ひらかわ)村、西は山地を境に阿多(あた)郡田布施(たぶせ)郷尾下(おくだり)村(現金峰町)・伊作(いざく)郷湯之浦(ゆのうら)村(現吹上町)。中世から近世初期まで上福元村とともに福本(ふくもと)村として推移した。寛文四年(一六六四)の郡村高辻帳では福本村として高八千五四三石余。「三州御治世要覧」によれば下福元村として延享(一七四四―四八)頃の高二千六一三石余。旧高旧領取調帳では高三千三八石余。宝暦三年(一七五三)・安永二年(一七七三)に検地門割が実施されている(宝暦三年「重盛門名寄帳」県立図書館蔵など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by