日本歴史地名大系 「下福島村」の解説 下福島村しもふくしまむら 大阪府:大阪市福島区下福島村[現在地名]福島区玉川(たまがわ)一丁目・同三丁目・野田(のだ)一―二丁目・同四丁目上福島村の南西にあり、村の東側から南側にかけては堂島(どうじま)川および安治川上(あじかわかみ)一丁目・同二丁目に接する。堂島川に中之島の湊橋(なかのしまのみなとばし)町(現北区)へ渡る船津(ふなつ)橋が架かる。もと上福島村と一村で、近世までの沿革は同村に同じ。分村の時期は延宝五年(一六七七)という(西成郡史)。村高は上福島村と合せ福島村一村で記す場合もあるが、享保二〇年(一七三五)摂河泉石高調では当村のみで二三八石余。 下福島村しもふくじまむら 群馬県:伊勢崎市下福島村[現在地名]伊勢崎市福島町(ふくじままち)利根川左岸、戸屋塚(とやづか)村の南にある。東は除(よげ)村・富塚(とみづか)村。寛文二年(一六六二)利根川の洪水により、村の中央を押抜かれた。「寛文朱印留」に村名がみえ、前橋藩領。寛文郷帳では田方三一石余・畑方四七石余。天保二年(一八三一)の伊勢崎領田畑寄(上岡文書)によれば反別六町六反余、うち田方一反余・畑方六町四反余。新田高五石余。前年の年貢は米二石五斗余・永二貫六七〇文。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by