日本歴史地名大系 「下網場村」の解説 下網場村しもなんばむら 兵庫県:養父郡八鹿町下網場村[現在地名]八鹿町下網場八鹿村の南東に位置する。集落は円山(まるやま)川・八木(やぎ)川の合流点、円山川西岸、八木川南岸の沖積低地に発達し、村域は円山川東岸にも展開。南は上網場村。古くは上網場村と一村で網場村といった。観応の擾乱の余波のなかで、延文元年(一三五六)幕府方に属して但馬各地を転戦した伊達三郎蔵人真信の軍忠状(同年一二月日付伊達家文書)の一項に、三月二七日南朝方の温泉(ゆ)城(現温泉町)攻撃に参加するため「難波河原」で幕府軍と合流したことを記している。天正八年(一五八〇)と考えられる六月二五日、羽柴長秀(秀長)は「なんば弥兵衛」に免状(藤田家文書)を与え、円山川での鮎漁を許可している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by