下羽田遺跡(読み)しもはねだいせき

日本歴史地名大系 「下羽田遺跡」の解説

下羽田遺跡
しもはねだいせき

[現在地名]八日市市下羽田町 柳の町

雪野ゆきの山塊北端を北西流する白鳥しらとり川右岸の、標高一〇四メートルの微高地にある。昭和五四年(一九七九)発掘調査され、縄文時代晩期と奈良―平安時代前期、さらに平安時代後期の三期にわたる複合集落跡であることが判明した。縄文時代晩期の遺構として竪穴住居一・柵列一・土壙墓一・甕棺墓三・木槨墓一が検出された。なかでも木槨墓では、隅丸長方形のプランの土壙に全長一・五三メートル、幅約〇・六メートルの台形気味の木槨の痕跡が検出され、さらにその内部に甕棺が認められた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む