改訂新版 世界大百科事典 「木槨墓」の意味・わかりやすい解説
木槨墓 (もっかくぼ)
mù guǒ mù
棺をおさめる外箱を槨(椁)といい,木槨墓は中国古来の重要な葬制であった。新石器時代後期に山東地方で発達する大汶口(だいぶんこう)文化に出現している。ここでは木棺と木槨の間に生じる空間を,副葬品を収納する副室として利用している。殷周時代では身分の高低によって木槨の大きさが決められた。安陽市郊外の殷王陵区で発掘された侯家荘1001号墓は最大の規模を誇る(殷墟)。地下10m余りに達する深い〈亜〉字形の墓坑を掘り,床下に墓を守護する武人や犬を入れる坑(犠牲を入れる腰坑)を設け,その上に木材を組み合わせた木槨をつくる。木槨は9.7m×6mの正室の左右に耳室が突出する〈亜〉字形の平面形をとり,天井までの高さは3m余りと推測されている。墓坑と木槨との間に生じる空間を天井の高さまで埋め戻し,この部分を二層台と呼び,人,動物を殉葬したのち,再び地上まで土を埋め戻す。このような殷式の木槨墓は変化しながらも前漢代まで広く行われ,木材の腐りにくい華南地方では,巨大なクスノキ材で構築した木槨墓が多く知られている。
前漢代の大型墓では棺を安置する部屋(梓宮,正蔵)を中央につくり,外側に回廊状の槨(外蔵槨)をつくる場合が多い。その際,木材の木口面を壁面に表して積み上げる〈黄腸題湊(こうちようだいそう)〉の手法が用いられる。長安,洛陽などの中心地域では前漢代に木槨墓から塼室墓に移行するが,地方では後漢代まで木槨が構築される。一方,漢代は竪穴式木槨墓から横穴式の木室・塼室・洞室墓に転換し,夫婦合葬を原則とする葬制が確立する時代である。この過程で,棺を密閉する槨本来の機能よりも,現実の居室を地下に再現する部屋としての機能が高まり,立体空間が拡大する。しかし,後漢以降に塼や石材で墓室をつくるようになっても,依然として槨と呼んだことが,塼に記された銘文によってわかる。
漢式の木槨墓が朝鮮の楽浪郡にもたらされ,平壌地方で多く発掘されている。三国時代の新羅王陵には,漢式木槨の系譜を引く竪穴式木槨墓が構築されている。日本では中国でいう木槨墓は一,二の例を除くと皆無である。日本の考古学では古墳時代前期の長大な刳抜き式木棺をおさめる竪穴式石室,あるいは木棺を被覆する粘土や礫のことを石槨,粘土槨,礫槨と呼んでいるが,原義的には誤りである。
執筆者:町田 章
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報