日本歴史地名大系 「下警固村」の解説 下警固村しもけごむら 福岡県:福岡市中央区下警固村[現在地名]中央区警固一―三丁目・赤坂(あかさか)二―三丁目・桜坂(さくらざか)一―三丁目・天神(てんじん)一―二丁目那珂(なか)郡に所属。福岡城下の南に位置し、西は早良(さわら)郡鳥飼(とりかい)村、東は薬院(やくいん)村。中世には警固村と称されていたが、近世初期頃に当村と上警固村(現南区)に分村したとみられる。村名の由来は古代の警固所が置かれていたことによるとも、警固大明神(現警固神社)があったことによるともいう(続風土記)。貞観一一年(八六九)一二月二八日の太政官符(類聚三代格)に「博多是隣国輻湊之津、警固武衛之要也」とあり、鴻臚(こうろ)館に統領・選士が配備され、甲冑が移し置かれるなどしていることから、警固所は防衛拠点としての一面をもち合せていた鴻臚館に併設されていた可能性もある。永禄一一年(一五六八)大友方が博多、箱崎(はこざき)(現東区)に陣を取ろうとしたが、大雨による那珂川の氾濫で警固・薬院・赤坂に陣を構えている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by