下谷山崎町二丁目(読み)したややまざきちようにちようめ

日本歴史地名大系 「下谷山崎町二丁目」の解説

下谷山崎町二丁目
したややまざきちようにちようめ

[現在地名]台東区北上野きたうえの一丁目

下谷山崎町一丁目の北にある。東は下谷新坂本したやしんさかもと町、西は下谷御切手したやおきつて町、北は坂本村田畑が広がっている。下谷山崎町一丁目と同様に黒鍬組の大縄地で黒鍬くろくわ町とよばれていたが、元禄一二年(一六九九)に町屋敷になり山崎町と改名、一丁目と二丁目に分離。黒鍬組五〇人が地主になった。町の規模は東西五九間余・南北一〇〇間余の両側町。文政九年(一八二六)の家数三四五、うち地主四六・家守五・地借一七・店借二七七。当時の屋敷拝領者四六名、うち元禄年中に屋敷を拝領した者二八名、それ以後拝領した者一八名。そのほか御庭方組頭預地三ヵ所・黒鍬組頭預地一ヵ所、さらに御庭方足地四五坪などがある。二丁目でも黒鍬の地主は六名に減少している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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