下里郷(読み)しもざとごう

日本歴史地名大系 「下里郷」の解説

下里郷
しもざとごう

鎌倉期、出石郡にあった国衙領。比定地は諸説あるが未詳出石郡の庄園・公領比定地の空白域となる出石川下流域である可能性が高いが、史料上の決め手を欠く。弘安八年(一二八五)の但馬国太田文では、「下里郷 六拾壱町九反二百四十七分」とみえ、「地頭太田三郎次郎入道行願」「内八幡宮神人七丁」の注記がある。田地内訳は、流失二町三〇〇歩、仏神講田七町五反大、地頭給五町一反一三五歩、定田四七町一反三〇一歩。定田のうちに、菊万・宗平両名五町八反三〇歩(「惣領行願地頭注文定」。「当名地頭明光」の注文は菊万三町・宗平一町三反一六〇歩、以上四町三反一六〇歩で、両方注文に一町四反二〇〇歩の増減がある、と注記される)と、「行願妹信政女子」二人各一町の領知があり、これを差引して残り定田三二町二反一七歩(計算は合わない)と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む