朝日日本歴史人物事典 「下間仲孝」の解説
下間仲孝
生年:天文20(1551)
戦国時代の本願寺坊官で能の名手。父は越前一向一揆の指導者,頼照。母や妻の家系に猿楽の名手がおり,若いころから指南を受ける。元亀1(1570)年に始まる織田信長の石山本願寺攻めに抗した軍事指導者のひとりで,天正8(1580)年の講和の際の署名者のひとりでもある。本願寺門主顕如の側近の奏者として外交折衝に当たる。文禄1(1592)年,顕如の死により奏者を罷免されるが,のちに復帰。関ケ原の戦では石田三成方に荷担したとの疑いを受け一時謹慎。金春流の秘事を伝授され禁裏で演能,「当時上手」と評された。豊臣秀吉,徳川家康にも招かれ演能。芸能,文芸を通じての武将らとの交流は,渉外担当者として重要な意味を持った。<参考文献>『下間少進集』Ⅲ(能楽資料集成)
(石田晴男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報