下間仲孝(読み)しもつま なかたか

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「下間仲孝」の解説

下間仲孝 しもつま-なかたか

1551-1616 織豊-江戸時代前期の僧。
天文(てんぶん)20年生まれ。本願寺の坊官。少進に任じられ,法印にすすむ。織田信長石山本願寺攻めに抗して戦闘を指揮し,和議に際しては門主顕如(けんにょ)にかわり下間頼廉(らいれん)・頼竜(らいりゅう)とともに誓紙署名。金春(こんぱる)喜勝から能の相伝をうけ,豊臣秀吉らにまねかれ演じた。元和(げんな)2年5月15日死去。66歳。法名は性乗。通称は別に仲康,仲之。芸名は素周。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の下間仲孝の言及

【下間少進】より

…本願寺坊官で素人能役者。幼名千代寿。本名仲孝。頼之,仲之,仲康などとも称する。法名性乗。少進は俗官名。下間家は本願寺譜代の家臣で,父の法橋述頼(1534‐75)は,本願寺支配下の加賀・越前両国の代官職であった。仲孝は1566年(永禄9)16歳で法橋に叙せられ(《地下家伝》),織田信長との石山合戦(石山本願寺一揆)が開始された70年(元亀1)以降,しだいに寺中に頭角をあらわし,信長との和平が成った80年(天正8)には本願寺を代表する三年寄の一人として,和平誓紙に連判するまでになっていた。…

※「下間仲孝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む