前田氏(読み)まえだうじ

改訂新版 世界大百科事典 「前田氏」の意味・わかりやすい解説

前田氏 (まえだうじ)

江戸時代の外様大名加賀藩主。加賀国金沢城に住し,加賀,能登越中国等にわたる領地を有した。定姓はなく,1586年(天正14)に平氏と見え,初代利家,2代利長は豊臣秀吉から羽柴称号豊臣姓を許された。1605年(慶長10)に徳川氏から与えられた松平の称号を代々称したが,41年(寛永18)に幕府が諸家譜を徴したとき,利家以来の伝説によって菅原姓を自称した。家紋は剣梅鉢。前田姓は美濃国安八郡前田に住したことによるといい,尾張国愛知郡荒子に移って,利家の父利春(利昌)のとき2000貫の地を領していた。利家は1551年(天文20)織田信長に仕え,武功により,75年(天正3)越前国府中3万3300石を与えられた。81年能登一国を領有し,83年羽柴秀吉から加賀国北半を加増されて金沢城に入った。以後,2代利長の代にかけて越中国と加賀国南半も加えた。1634年(寛永11)の朱印高は119万2760石。39年,3代利常は隠居に際して次男利次に越中国富山藩10万石,三男利治に加賀国大聖寺藩7万石(1821年10万石待遇となる)を分封した。64年(寛文4)の本藩朱印高は102万5020石余。また1616年(元和2),利家の子利孝が上野国七日市藩1万石に封ぜられた。官位は,利家は従二位権大納言,利長・利常は従三位権中納言,その後は正四位下参議権中将を家格とし,5代綱紀以後は加賀守を称し,4代光高以後は代々将軍の偏諱(へんき)を賜って改名した。1689年(元禄2)から五節句には白書院で拝謁した。富山・大聖寺侯は従四位下,七日市侯は従五位下を家格とした。

 明治になって本家侯爵,富山分家伯爵,大聖寺・七日市分家は子爵となった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「前田氏」の意味・わかりやすい解説

前田氏
まえだうじ

江戸時代、加賀(石川県)、能登(のと)(石川県)、越中(えっちゅう)(富山県)3か国で102万5000石を領した大大名。美濃国(みののくに)(岐阜県)斎藤氏の庶流で、前田の姓は同国前田村に住したところから生じたらしい。利春(としはる)(利昌(としまさ))のとき尾張国(おわりのくに)(愛知県)荒子城に住し、2000貫の地を領した。微々たる戦国武将であったが、1551年(天文20)その子利家(としいえ)が織田信長に仕えてから家運を開き、織田、豊臣(とよとみ)、徳川と天下統一が継承される間に巧みに対処して、3か国における領主権を確保した。利家以下歴代加賀藩主を相受けて廃藩に至る。2代利長(としなが)の慶長(けいちょう)期(1596~1615)には120万石を領したが、3代利常(としつね)隠居の際、次子利次(としつぐ)に富山藩10万石、三子利治(としはる)に大聖寺(だいしょうじ)藩7万石を分けた。

[若林喜三郎]


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山川 日本史小辞典 改訂新版 「前田氏」の解説

前田氏
まえだし

近世の大名家。菅原姓を称したが,詳細は不明。戦国末期,尾張国愛知郡荒子村(現,名古屋市中川区)の土豪だった前田利昌の子利家が織田信長に仕え,軍功により1575年(天正3)越前国府中に3万3000石を与えられた。のち豊臣秀吉に臣従し,子利長が関ケ原の戦で徳川家康方につくなどして領地を拡大。江戸初期には加賀・能登・越中3カ国,総計119万石余を領有する大大名となった。その後,家督を継いだ弟の利常は次男利次に越中国富山藩10万石,三男利治に加賀国大聖寺(だいしょうじ)藩7万石を分知。ほかに利家の五男利孝を祖とする上野国七日市藩がある。本家は加賀国金沢を城下とする102万石余の藩主家として,利家から数えて14代慶寧(よしやす)まで続いた。維新後,本家は侯爵,分家は伯爵・子爵。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「前田氏」の意味・わかりやすい解説

前田氏
まえだうじ

金沢藩主。菅原氏あるいは平氏,源氏の出ともいわれるが詳細不明。室町時代中期以降,尾張国海東郡前田を本拠として勢力をもつ土豪であった。戦国時代には織田氏に属し,利家のとき織田信長に仕え,桶狭間の戦いに勲功をあげ,以来重用されて,近江長浜1万石に封じられ,さらに越前府中3万 3000石を領した。本能寺の変後は豊臣秀吉に従い,加賀さらに越中の一部を加え,利長のとき 83万 5000石となった。関ヶ原の戦いでは徳川方に属し,戦後は 120万石余を領する最大の大名となり,以来明治にいたり侯爵,分家の越中富山の前田氏は伯爵,加賀大聖寺・上野七日市前田氏は子爵。

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旺文社日本史事典 三訂版 「前田氏」の解説

前田氏
まえだし

江戸時代の加賀藩主
尾張出身の利家が織田信長・豊臣秀吉に仕え,賤ケ岳 (しずがたけ) の戦い(1583)後金沢に居城を築いた。江戸時代には越中・能登・加賀102万石を領し,最大の外様大名であったが,松平姓を賜り幕府と親しい関係を結んだ。元禄時代に名君綱紀を出し,後期には11代将軍徳川家斉の息女溶姫を正室に迎えるため建てた赤門(現在,東京都文京区本郷の東大にある門)などで有名。

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世界大百科事典(旧版)内の前田氏の言及

【加賀藩】より

…領主は外様大名前田氏。城地は加賀国金沢。…

【金沢[市]】より

…重要文化財では建造物のみをあげても,尾崎神社社殿,尾山神社神門,金沢城三十間長屋,同石川門,成巽閣(せいそんかく),旧第四高等中学校本館など,また名勝として兼六園および成巽閣庭園などが有名。【斎藤 晃吉】
[金沢城下]
 加賀,越中,能登3国を領した前田氏の城下町。16世紀ごろ,犀川,浅野川にさしはさまれた小立野台地突端で金屋が砂金を採掘し,芋掘藤五郎伝説も付加されて,金洗沢,金掘沢に発する金沢の地名が定着した。…

【大名】より

… (1)国主大名とは1ヵ国以上の国を領有する大名,1国に近い土地を領有するか,もしくは領地高が多い大名をいい,家数は時代によって変遷するが,おおむね幕末では次のとおりである。前田氏(加賀・能登等102万石余を領し金沢に住する),島津氏(薩摩・大隅等77万石余,鹿児島),黒田氏(筑前52万石,福岡),浅野氏(安芸等42万石余,広島),毛利氏(周防・長門36万石余,萩,幕末に山口へ移る),池田氏(因幡・伯耆32万石,鳥取),池田氏(備前等31万石余,岡山),蜂須賀氏(阿波・淡路25万石余,徳島),山内氏(土佐24万石,高知),宗氏(対馬10万石格,府中)の10家が1国以上を領有する大名としてあげられる。宗氏は1万石余であるが対馬1国を領有するし,朝鮮との外交関係があったので10万石格の国主の扱いを受けた。…

※「前田氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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