下関根村(読み)しもせきねむら

日本歴史地名大系 「下関根村」の解説

下関根村
しもせきねむら

[現在地名]上山関根せきね

川左岸にあり、北は長清水ながしみず村に接し、羽州街道に沿う。南の中関根村・上関根村を併せて三関根村とよぶ。元和八年(一六二二)上山に入部した松平丹後守重忠は、羽州街道の往還筋を城下を通らずに通過できるよう改め、地蔵堂じぞうどう(現山形市)から四ッ谷よっやしん丁―十日とおか町―二日ふつか町―矢来やらい橋―本庄ほんじよう街道―楢下ならげ村への道筋を定め、寛永二年(一六二五)頃までに完成した。それまで東方須川寄りにあった当村・中関根村・上関根村・皆沢みなざわ村は道路沿いに移転した。現在もかつて道が通っていた本庄郷の東方に神社があり、名残をとどめている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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